David Blecken
2016年9月07日

日本語学習者はブルーオーシャンか - 電通の新たな試み

分かりやすく簡素化した日本語を普及させ、日本人と訪日観光客との交流を促進しよう-賛否両論を呼びそうなアイデアだが、マーケターにとっては新たなビジネスチャンスとなる可能性を秘めている。

プロジェクトは福岡県柳川市からスタートする。
プロジェクトは福岡県柳川市からスタートする。

広告代理店の主導で、人々のコミュニケーションのあり方を変えていく - ほとんどの外国人にとっては、「突飛」と言わざるを得ない発想だろう。欧米の政府機関がオグルヴィやマッキャンなどと組んで、教育プログラムに匹敵するような代物を生み出すなど、にわかに想像しがたいことだ。しかしこれが電通となると、ご多分にもれず事情が異なってくる。

先日、同社は「やさしい日本語ツーリズム研究会」の発足を発表した。外国人にも分かりやすい「やさしい日本語」を使って観光客と対話をし、もてなそうというこの試み。東京は対象に含まれず、もっぱら地方の人々と訪日客との触れ合いを促進し、リピーターに焦点を当てて観光業を盛り上げていこうというプロジェクトだ。

狙うは台湾

これを発案したのは、電通の地域イノベーションセンター新聞局日本開発室ビジネス開発部シニア・マネージャーである吉開章氏。まずは同氏の故郷である福岡県柳川市から着手し、地元の人々が観光客向けの「やさしい日本語」を習得する機会を設ける。学習プログラムや資金面で電通に協力するのは、日本語教師養成などの教育事業を運営するヒューマン・アカデミー。電通がこの取り組みを全国の自治体に普及させていくことを条件に、国からの交付金も支給されることになった。

彼らがまず狙いを定めるのは、日本でより深い体験をしたいと望む台湾人観光客。このプロジェクトに参加する人々、つまり日本語で会話をしたい観光客と、分かりやすい日本語で対応する地元の人々は、それぞれ目印となる色違いのバッジをつける。「普段あまり使われない言葉や方言、そして外国人には評判のよくない複雑な敬語などは一切使いません」と吉開氏は言う。
 

日本語を話す訪日観光客と、「やさしい日本語」で対応する地元の人々との目印となるバッジ。


「外国人」イコール「英語」ではない

「言語」に個人的な思い入れをもつ吉開氏は、2年前にフェイスブックで日本語を学ぶ人々のコミュニティーを立ち上げ、現在では約2万人が集う。言語に興味を持つようになったのは、母の言葉がきっかけだった。「とても世話好きな母が、あるとき『自分は英語が話せないから外国からのお客さんのお世話ができない』とこぼしたのです」。

日本人の英語力の低さはよく知られているが、日本人のほとんどは外国人とコミュニケーションをとる方法は英語しかないと考えている。だが、これは間違った認識だ。電通が行った調査によれば、現在台湾で日本語を学習している人々は200万人近く。これは政府の統計の10倍で、同調査では約42%の台湾人がある程度の日本語を話せるという結果も出た。既存の統計は海外の大学や日本語学校といった教育機関での学習者を対象としており、累計値ではない。この調査結果は電通にとってある意味、目からうろこだった。

「趣味として日本語を学んでいる人が、世界にはたくさんいます。ところが日本人はそのことに気づいていない。英語を強制的に勉強させられる我々にとって、趣味で語学を学ぶ人々がいるというのは想像しにくいのです」と吉開氏。

その一方、こうした調査結果をうのみにしてはいけないという意見もある。言語学を学び日本語を教えた経験ももつコミュニケーションの専門家、東京在住の秋山知之氏は、日本語学習者の多くは入門レベルにすぎないと見ている。「外国人向けの話し方を習得したいという日本人には、この取り組みはいいでしょう。しかし日本語を簡素化したとしても、ごく限られた数の外国人しか理解できない恐れがあります」。文化的に日本と最も近いと思われる台湾以外の国々では、日本語学習者の数はかなり少ないのではないかという懸念もある。大きく捉えれば、「やはり観光客向けには基礎的な英語や中国語の方がいいでしょう」と秋山氏は言う。

吉開氏は、「日本に行ったら日本語を使ってみたい」という日本語学習者の気持ちに着目する。彼らの多くは実際、英語が話せない。にもかかわらず、店やレストランで片言の英語で話しかけられれば、彼らは失望を味わうだろう。逆に丁寧すぎる難しい日本語で話しかけられても、やはり落胆するに違いない。日本人に多いこうした接し方の「勘違い」を、吉開氏は変えていきたいという。

「相手に丁寧に接しているつもりでも、日本語を学んでいる人々にとって意味が分からなければ、相手を不安な気持ちにさせてしまう。だから複雑な言い方はやめるべきなのです」と吉開氏。

同氏の考えに疑問を呈するのは、秋山氏だけではない。日本在住のある米国人業界関係者は、「このような発想は、文化を希薄化するのがせいぜいでしょう。悪く言えば、毛沢東の反知性主義に通じるものがある」と手厳しい。またある人は語気を荒げ、「外国人のために語彙を規制しようなどというのは、論外。彼らが日本語をきちんと勉強して、日本人と同じように話せるようになればいいだけの話」と吉開氏に意見したという。

こうした批判もある中、一つ忘れてならないのは、このプログラムは任意の取り組みであるということ。吉開氏は、「分かりやすい日本語を話せ、と日本人に強制しているわけではありません。同様に、観光客に日本語を話すことを強制しているわけでもないし、彼らの日本語を無理に正すようなこともしません」と強調する。秋山氏も、「やさしい日本語が文化を希薄化する」という批判に対しては逆に「日本の国際化を妨げるエリート主義の表れではないか」と懸念し、「結果的に国際社会の中で日本がますます理解されにくい国になってしまう」と述べる。

兎にも角にも、このプロジェクトを効果的に進めるには人々の考え方を刷新する必要があることは確かだ。そのため吉開氏は、自身のソーシャルメディア上の幅広いネットワークを活用し、PR活動に励む。電通はこのプロジェクトを宣伝しているわけではないが、「潜在的な訪日観光客の間で認知度を上げていくために、フェイスブックのターゲット広告は有効かもしれません」と吉開氏は語る。

異なるタイプの消費者セグメント

「やさしい日本語を使うメリットの是非は、皆さんそれぞれの判断にお任せします」と言う吉開氏だが、もちろん自身ではメリットを確信している。日本語学習者は、一般の観光客よりもっと日本文化に親しんでいるケースが多い。彼らが望んでいることを理解し、適切に対応すれば、「マーケティング的視点で言う、競合のない全く新しい市場、ブルーオーシャンですよ」と同氏。単なる観光や買い物目当ての観光客と区分して位置づければ、マーケターは多くのことを学べるに違いないと言う。

「『日本ブランド』として日本語学習者に絞ったマーケティングを行えば、もっとインバウンド・ツーリズムを増やすことができる」と言う吉開氏。日本は人気の旅先として年間2,000万人の観光客が訪れるが、フランスの8,000万人に比べればまだ少ない。同氏はフランスを訪れる観光客の多くが趣味でフランス語を学んでおり、その点で「日本とフランスは似ている」と言う。「フランス人には英語を見下している人が多いので、フランスに行けばフランス語を磨ける機会がいくらでもある。言語とは、観光資源なのです」。

また日本語を資源として活用することで、これまで観光客を呼び込むことに失敗してきた地方自治体を再び活気づけることができる、とも同氏は考える。「日本語を話せたり、話したいと思っている観光客に的を絞れば、新しい施設などつくる必要はないのです。日本語を使うだけで観光客を満足させることができるのですから」。北海道の東川町などはその良い例で、町立の日本語学校にはアジア各地から日本語を学びたい若者たちが集う。

日本語が習得の難しい言語であることを考慮すれば、フランス語のように人気が出ると期待するのは非現実的だろう。「言語ツーリズム」は、あくまでもニッチな領域にとどまる。だが、日本語学習者を一般の観光客と異なるセグメントで認識することで、長期的な価値が生まれる可能性があるのだ。

このプロジェクトのように、個人が長年温めてきた企画が大きなスケールで実を結んだのはなぜだろうか。電通広報部の長澤一徳氏は、「電通は一つの大きな組織というより、個人商店の集まりのようなもの。各自が興味のあることを追求するよう、奨励する土壌があるのです」と語る。

電通は他にも、広告と関連のないプロジェクトを主導している。最近の事案では、伝統芸能である「能」をテクノロジーを介してより身近なものにしようという「テク能プロジェクト」、次世代の人材育成を目的とした「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」、衛星を使って森林火災のモニタリングなどを行う「宇宙ビッグデータ」、さらには広告代理店として最も意外性が高い、「電通宇宙ラボ」の立ち上げなどがある。

(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳:鎌田文子 編集:水野龍哉)

提供:
Campaign Japan

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