Rahul Sachitanand
2022年4月22日

「人材価値」を見直すAPAC広告界

人手不足と優れた人材の発掘 −− APAC(アジア太平洋地域)各エージェンシーの「課題解決のための課題」は、賃金インフレの加速と柔軟な雇用、求人への新たな視点だ。

左上から時計回りに:グループMのディラン・チュン、TBWAのマンディー・ゴー、DDBのサラ・クラブ、WPPのジャーメイ・テイ、ピュブリシスのポーリー・グラントの各氏
左上から時計回りに:グループMのディラン・チュン、TBWAのマンディー・ゴー、DDBのサラ・クラブ、WPPのジャーメイ・テイ、ピュブリシスのポーリー・グラントの各氏

コロナ禍の苦境を経て、APACのマーコム(マーケティングコミュニケーション)業界は再び成長路線に転じた。そんななか、「大退職時代(Great Resignation) 」の到来と足並みを揃えたリモートワークの普及は、各社の人材確保対策を決定的に変化させた。

今年のエージェンシー・レポートカードが示すように、企業の雇用は増加傾向にある。だが、人材へのニーズは変わった。Campaign Asia-Pacificがインタビューした複数のエージェンシー幹部は「データやテクノロジー、アナリティクス、パフォーマンスマーケティングといった分野の人材を積極的に採用している」と語る。

自ずと人材の供給元も広がり、テクノロジーやコンサルティングなど関連業界からの採用が増えている。だがこうした人材補強はコストを要する。経営幹部は賃金インフレの高まりを懸念し、抑制策を見つけることが喫緊の課題だ。

「今はほぼ全ての業界で賃金インフレが懸念されている。その影響には誰もが敏感になっています」と話すのはWPPのアジア担当人材ディレクター、ジャーメイ・テイ氏。

「中国での人材獲得はますます困難になっている。優れた人材を得るために平均給与の1.5倍以上を払い、そのうえで自社株や様々な特典を与える企業も出てきています」

だが、「人材獲得でカギになるのは独創的なアプローチ。必ずしも報酬の高さが一番の決め手ではありません」とも。同氏がアピールするのはWPPグループのブランド力であり、クライアントの質の高さだ。

今の業界に求められているのは報酬の引き上げよりも、従業員のメンタルヘルスを保つ福利厚生の充実に他ならない。WPPとグループMは、メンタルヘルスのサポートが必要な従業員にすぐ対応できる施設や機関の提携先を増やした。またWPPは10月に「メンタルヘルスの日」を設け、休日とした。専門家による従業員のサポートプログラムを設けるエージェンシーは他にも多い。

TBWAシンガポールは、従業員にフレキシブルな働き方を許容している。マンツーマンのコミュニケーションを常時可能とし、デジタルメンタルヘルスのプラットフォーム「セーフスペース」とも提携して従業員をサポートする。同社人材開発ディレクターのマンディー・ゴー氏は、「報酬やワークライフバランスといった条件面以上に、自己の有用性や差別化、帰属意識といったメンタル面を重視している」と話す。

「条件面を良くすれば新しい人材を呼び込むことができるでしょうが、会社に長くいてもらうためにより重要なのは、メンタルヘルスのケアです」

複数の人事コンサルタントは「雇用増加で今、優位な立場にいるのは雇用者」と話す。「ビジネスが成長路線に転じ、各社が新たな人材を求めている。強い立場にいるのは雇用者です」というのは人事コンサルティング会社グレースブルーのAPAC担当CEOヘレン・ダフィー氏。「一流のエージェンシーは優れた人材を呼び込み、維持していくために福利厚生やキャリアアップ、報酬面の充実を図っている」

TBWAのゴー氏が言及するのは人材流出への危機感だ。「マーコム業界はテックやeコマース企業にとって人材の宝庫。優れた人材をいかに引き留めるかがマーコム界の大きな課題です」

「テック企業が求人の際に提案するオファーは魅力的。だからこそ我々はよりイノベーティブなアプローチで人材を集め、維持し、売り出していかねばならない」

マーコム業界にとって過去2年間は厳しい時期だったが、「広告やクリエイティブの仕事は依然として魅力が多い」と同氏。「ビジネスの幅が広く、スピーディーに事が進む。よって柔軟性が磨かれ、創造力とイノベーションが発揮できる。常に自分が成長できるのです」

それでも、優れた人材をこの業界に呼び込むことは容易ではない。グループMのAPAC担当チーフピープルオフィサー(CPO、最高人事責任者)ディラン・チュン氏も業界の人材不足を憂う1人だ。それでも「人材マネジメントは守りの姿勢を取るのではなく、積極性が重要」という。

「どういう分野から人材を発掘し、どのように育てて会社にフィットさせるのか −− この命題に答えを出すことがより良い戦略です」。グループMは、オーストラリアで身体障がい者の雇用を積極的に行う。彼らの隠れた才能を見出すだけでなく、高度なデジタルスキルを身に付けさせ、戦力として育成するのだ。また、この業界に興味を持つ育児休暇明けの女性や、異分野からの転職希望者も積極的に採用する。

「人材不足を嘆く人は多いですが、この状況を逆手に取ればチャンスになる。どこに人材が埋もれているのか、これまで取らなかった戦略は何か、会社が進化するためには何をすべきかといったことをもう一度よく考えてみるべきでしょう」

業界にとっては人材プランを全体的に見直す好機、と捉える意見もある。「クリエイティブ業界であるにもかかわらず、我々は広告界に適した人材に関して長年クリエイティブな思考をしてこなかった」と話すのはDDBグループ・オーストラリアの人事ディレクター、サラ・クラブ氏だ。

DDBは人材採用に関し、大学での学位・成績や業界との関連性ではなく、「より深くて幅広い」人材マップを評価基準にする。異分野で働く人々であっても彼らが持つ広告業界で生かせるスキルに着目し、クリエイティビティーや批判的思考、分析、リーダーシップ、社会への影響といった能力を見極める。最近では性格や感情面も重視するという。

コロナ禍での取り組みが人材面に効果を発揮したというエージェンシーもある。ピュブリシスグループANZ(豪州及びニュージーランド)のチーフタレントオフィサー、ポーリー・グラント氏は、同社が世界レベルで始めた独自の取り組み「ザ・ベンチ(The Bench)」を好例に挙げる。

これは従業員がそれぞれの才能を生かし、グループ内の別の企業で一時的に働くことができるシステム。この制度でコロナ禍の間、109人が職を失わずに済んだ。最終的には恒久の制度となり、世界で2000人が職を維持することができた。

さらに同社は「ワーク・ユア・ワールド(Work your World)」という取り組みも世界レベルでスタート。従業員が年に6週間、リモートで働ける制度だ。「誰もがハイブリッドな働き方を歓迎しています。自分に最適な仕事のリズムを見つけ、見事に適応している」とグラント氏。「皆、人生の目的や自分にとって一番大切なことが何か見極めようとしている。そして、自分の仕事がそれに合致しているかを見つめ直しているのです」

「エージェンシーは人材へのアプローチを綿密に見直し、従業員をサポートする環境を作り上げるべき」と同氏。そして、「個々の豊かな人生経験の一部となるような、優れた成果物を生み出していかねばなりません」

マインドシェアのAPAC担当CPOアヌ・ナガシュ氏は「我々はこれからも様々な新しい分野から人材を確保していく。共に成長できる、補完し合えるスキルを持つ人材を増やしていきます」と話す。同社が今、注力するのはメディアサービス。雇用における多様性はますます高くなるという。

だがこうした企業にとって、社内で摩擦を生まずに戦略転換を図ることは容易ではないだろう。理由の1つは、従業員 −− 今後入社する従業員も含めて −− が雇用主に求めるものが変化したことだ。

「今日の人材は、企業に求めるものが非常に明確。『我々雇用主がルールを決める』という考え方では将来的に機能しません。ルールは従業員と共に作り出すものでなければならない」(グループM、チュン氏)

例えば、エージェンシーが従業員に週に3日間オフィスに来るよう指示したとする。しかし、果たしてそれは従業員が望んでいることなのか。また、彼らにとって意義あることなのか。さらに何より重要なのは、そうしたシフトを円滑に実行できるかということだ。

マインドシェアのナガシュ氏もこの点を案じている。以前であれば職務明細書に職務内容が記されるだろうが、「もはやこうした明細書は優れた人材にフィットしない」。「エージェンシー幹部は目的の明確化も求められています。経営目的がサステナビリティーの向上など世界的課題の解決に適合したとき、従業員と本当の信頼関係を築くことができる」

企業が将来の働き方に関する戦略を描くのであれば、職場についても再考すべし −− 人事リーダーたちの一致した意見だ。では、コロナ後にはまた皆がオフィスに戻らなければならないのだろうか。それとも、オフィスをもっと分散化しなければならないのか。

「雇用者と従業員の双方が妥協すればいい、という話ではありません」とチュン氏。「コロナ後の世界では、従業員が企業により明確な説明を求めるようになる。双方のニーズの微妙なバランスを取ることが、働き方の将来像を描く上で欠かせません」

(文:ラウル・サチタナンド 翻訳・編集:水野龍哉)


To be held on May 10 and 11 as both an in-person and virtual event, Campaign360 will discuss the industry's talent challenges in detail. Campaign will also be releasing research related to the talent crunch at the event. 

 

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