Robert Sawatzky
2022年2月09日

「無事終われば全てよし」 ブランドと中国が五輪に望むもの

五輪と春節に沸く中国。だが、新型コロナウイルスと政治的軋轢という2つのリスクを抱えるブランドは、大会が無難に終わることだけを願う。

「無事終われば全てよし」 ブランドと中国が五輪に望むもの

中国の人々にとって、今回の北京冬季五輪は忘れ難いものとなった。世界で最も多くの人々が移動する中国最大の祝日、春節(旧正月)とタイミングが重なったからだ。

「今回の五輪は本当に特別です」と話すのはマッキャン・ワールドグループ中国支社のチーフクリエイティブオフィサー(CCO)、マー・インボー氏。「春節と五輪が一緒になったことで、生涯に一度のイベントとなりました」

春節と五輪はよく呼応し合う。家族や親族が集まって盛大に新年を祝うイベントと、フレンドリーに競い合うアスリートを世界が一丸となって後押しする五輪。双方の熱気は溶け合い、相乗効果を生み出す。

中国では今、米国系中国人のフリースタイルスキー選手、アイリーン・グーの広告があふれている。大手eコマースサイト、ジンドン(京東商城、JDドットコム)の広告もその1つ。彼女をフィーチュアしつつ、春節をうたう。一方、こうした数多の露出は彼女の「帰郷」を盛り上げるため、という冷めた見方も多い。

ジンドンの広告に起用されたアイリーン・グー選手


だが、五輪と春節をともにアピールするマーケティングやブランディングは比較的少ない。グローバルブランドが目立った活動を控えているのもその要因だろう。パンデミックと政治的軋轢というリスクがなければ、今大会は真の意味で特別な五輪になっていたはずだ。

中国にとってのチャンス

こうした状況は誰にとっても予想外だった。中国の冬季大会招致が決まったのは2015年。以来7年間、中国は2008年夏季大会の成功体験をもとに、整然と大会の準備を行ってきた。それを立証するのが、オムニコム・メディア・グループ傘下のスポーツマーケティング会社フューズが発表した北京五輪に関する調査報告書だ。

2015年に1兆7100億元(約31兆5000億円)だった中国スポーツ市場の規模は、2019年には2兆9500億元と大幅増。ウィンタースポーツの視聴率や実施率、そして親近感も着実に増加した。それと足並みを揃えてインフラも整備され、国内のスキーリゾート数はこの期間で36%増。スキーやスケートをうたう冬の観光産業は2017年から2022年にかけて70%の成長を遂げた。

2020年、ウィンタースポーツの視聴率はバドミントンや卓球といった人気スポーツと肩を並べるまでに。「特に若い女性の間で、ウィンタースポーツは『トレンディー』かつ『クール』なものになった」と報告書は記す。

フューズ社の調査報告書より


中国ブランドもそれに呼応し、2015年から19年にかけてスポンサー支出は年平均で8.9%増加。2020年から21年には250件に及ぶ五輪関連の契約が成立し、中国でのeスポーツ人気を追い越した。フューズによれば、45以上の中国ブランドが北京冬季五輪のオフィシャルパートナーやスポンサー、サプライヤーとして契約を交わしたという。

五輪をテーマに中国で展開されるアウディや中国ブランドの広告(フューズ社資料より)


さらに、個別のチームやアスリートとのスポンサー契約も活発化。中にはアウディのように、中国のスケート及びスキー代表チームとパートナーシップを結んだグローバルブランドもある。またエスティローダやキャデラック、ルイ・ヴィトン、ティファニーはチャイナ・モバイル、ジンドンといった19の企業とともにアイリーン・グーの人気にあやかった。彼女は今大会のマーケティングの台風の目となった。

「ムード」の落差

中国国内では紛れもなく、五輪スポンサーのアクティビティーは活気を帯びている。だが、2008年夏季大会当時とは「まったく状況が異なる」と話すのはスポーツジャーナリストのマーク・ドライアー氏。同氏は2008年、五輪取材で訪れて以来中国で暮らす。

「当時の中国の熱狂振りは大変なものでした。国中がパーティーをやっているようで、中国が国際舞台にデビューしたことを祝うパーティーだと皆が捉えていた」。だが今回は、大会に参加するアスリートや取材するメディアに課せられる何重もの検査体制やバブル方式が「お祝いムードに水を差している」。また、米英加や他の欧州諸国が取った外交ボイコットも明らかに影響を与えているという。

「とにかく雰囲気がまったく違うのです。大会組織委員会の目下の関心は、大会を無事に終わらせること。国際オリンピック委員会(IOC)も同じ思いでしょう。外交ボイコットや他の課題を突きつけられ、様々な政治的配慮を強いられましたから。何しろ、できる限り無難に大会を終わらせたい。こうした消極的姿勢は確実に大会の空気に反映されています」

マーケティングの「苦難」

五輪に合わせて準備をしてきたマーケターたちも、同じように感じているかもしれない。本来なら余裕を持ってコミュニケーションプランニングにのぞむはずだったが、東京2020大会の延期と新型コロナが不確実性を生み、スケジューリングや社内調整、ロジスティックスなどに膨大な時間を費やさざるを得なかった。

昨年3月、マッキャン中国支社は大会組織委に対し、開幕100日前に公開される「カウントダウン・フィルム」(下・動画)のピッチを行った。マー氏は、その際のブリーフは極めてシンプルで、細かい指示は何もなかったと話す。「単にショートフィルムを作るというだけで、テーマやコンテンツに関する言及は一切ありませんでした」

「しかし、かえってそれが難しかった。当時は先行きがまったく見えませんでした。東京五輪が開かれるのかどうかさえもわからなかった。そしてその後、中国と他国との間で微妙な外交問題が多発した。今もそれは続いていますが……。それゆえ、世界にどのようなメッセージを発信すべきかという難しい判断を迫られた」

東京大会が最終的に開催されたことで、「中国も競技施設や感染対策が整っている。大会を開く準備は万全」という内容のメッセージに落ち着いたという。

それでも、制作上の課題は残った。昨年、中国では9月まで気温が高く、降雪量はゼロ。ほとんどの制作会社は撮影に二の足を踏み、マー氏を失望させた。やっとのことで敏腕のディレクターとスタッフを確保、雪を求めて山の高所にロケーションを設定したが、今度は俳優や監督、スタッフが高山病にかかってしまった。

独・保険大手アリアンツが展開する五輪キャンペーン『The strength to move forward』(下・動画)を制作したBBDO上海も同様の経験をした。パンデミックによる外出・移動の制限で、スタッフは撮影現場にたどり着くまで四苦八苦。ロケーションはやはり高所だったため、現場では高山病とマイナス26度という極度の寒さに向き合わねばならなかった。

それでも、完成した作品はアリアンツが求めたテーマを見事に具現化した。アスリートたちの不屈の努力、困難の克服を描くことこそが多くの五輪スポンサーにとって重要課題だ。ただ、こうしたキャンペーンを制作する際の労苦が広告主にとって大きな課題の1つとして残されたが……。

世界へのアピール

五輪は、世界が共感できるテーマやメッセージをシンプルに伝えることができる。それは人間の持つ熱意や精神力、勇気、助け合いと思いやりの心、肉体的強さ、そして忍耐力だ。こうした要素は政治性がなく、文化的にも無害で、ブランドは大いに活用ができる。だが今回、アリアンツのように北京五輪を大々的に取り上げてキャンペーンを展開する五輪スポンサーは極めて少ない。この状況は一見理解に苦しむが、ほとんどのスポンサーは巨額の投資にもかかわらず沈黙を保つ

その理由は明白だ。新疆ウイグル自治区におけるウイグル人弾圧、「性的関係を強要された」と政府高官を告発した女子テニス選手の口封じ、「五輪やスポーツ以外のテーマを取り上げるな」という五輪スポンサーへの度重なる圧力……こうした中国政府の姿勢に西側諸国は強く反発した。五輪のトップスポンサー(ワールドワイドオリンピックパートナー)数社は昨夏、米国議会の公聴会に召集され、その姿勢を問われた。西側では企業の社会的価値を重んじる消費者が増え続ける一方、これら企業は中国で1100億ドル(約12兆8000億円)以上の売上高がある(ブルームバーグ、ストラテジーリスク社調べ)。人権尊重か売上高か −− スポンサー企業は今、極めて難しい立場に立たされている。

2月初旬、ロサンゼルスの中国総領事館前で行われた北京五輪への抗議デモ(写真提供:Getty Images)


「五輪スポンサー企業は今、危なっかしい綱渡りをしています」と話すのはフォレスター・リサーチ社のバイスプレジデント兼主席アナリストで、ブランド戦略と社会正義に関する著書があるディパンジャン・チャタージー氏。「中国における莫大な利益を失うか、企業の社会的価値に重きを置く西側のオーディエンスを失うか。その瀬戸際にあるのです」

「中国の経済的重要性が低ければ、これらブランドはボイコットなどの強硬手段を取ったかもしれない」。だが、同氏が行った目的主導型の購買行動に関する調査結果では、社会性に対する消費者の反応は予想以上に低かった。「企業の社会的価値を吟味して商品を購買する」と答えた人は18%に過ぎなかったのだ。ブランドは当然、この結果を考慮するだろう。

すでにいくつかのグローバルブランドは、中国向けに他国とは異なるキャンペーンを展開している。だが情報が世界を駆け巡る今の時代、そのテーマや内容には十分注意を払わねばならない。

「我々はグローバル化が進んだ世界に生きています。1市場におけるアクティベーションでも、それ以外の国々の人々が注視していることを忘れてはならない」とドライアー氏。「中国でお気楽なキャンペーンを大々的に展開し、他国の人々がそれに気づかないということはあり得ない。そういう時代はとっくに過ぎ去った。いくつかのビッグブランドはそうした点を十分考慮して活動しています」

いかに中立的かつ無害な五輪キャンペーンを計画しても、リスクを完全に除去することはできないと同氏はいう。

「PRやマーケティングのチームがあれこれキャンペーン戦略を立てても、全ての市場でうまくいくことはほぼあり得ない。ゆえに基本的な最善策は、何もしないことです。過去半年から1年の間に、中国国内と海外で強い非難を浴びたブランドの例は枚挙にいとまがない。それゆえ、最初から目立たぬようにしていようという考え方がますますブランドの間で増えています」

忘れてならないのは、この状況が特異ではないことだ。政治は常に五輪に影響を及ぼしてきたし、過去には大会のボイコットという事態も起きた。もっとも、世界的なパンデミックと重なることはなかったが。それでもIOCは、「この混乱はじきに収まる」と主張を続ける。

チャタージー氏は、今後は五輪のアマチュアリズムがオーディエンスやブランドにとって普遍的かつ特別なアピールポイントになるだろうと推測する。今回の五輪では、スポンサーの人気者となったアイリーン・グーなどはさておき、プロスポーツ界で高額の報酬を得ているスーパースターに脚光が当たることほとんどない。

アイリーン・グー


「今大会の最大の主役は、勝利を求めて限界に挑む『普通』の人々です。これは実に魅力的な要素。ブランドの世界では共感を得られるか否かが死活問題ですから。そういう意味で今大会の『公平性』はこれまでと異なるし、今後も続いていくでしょう」

ある意味、東京2020と北京大会は草創期の五輪を世界のオーディエンスに体験させたとも言える。それは、ブランドの広告から解き放たれた大会だ。ブランドや大会組織委にとっては、一度立ち止まり、将来の五輪マーケティングとスポンサーシップの功罪を考える良い機会になるのではなかろうか。

だが、今のところ両者が望むのはダメージを最小限に抑え、大会を無難に終わらせることだけのようだ。

(文:ロバート・サワツキー 翻訳・編集:水野龍哉)

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