David Blecken
2018年10月12日

「築地ブランド」の未来

都内有数の「文化資産」である築地市場が豊洲へと移転した。都はそのブランド力の維持に努めるというが、明確な戦略は見えない。

写真:Shutterstock
写真:Shutterstock

今週、都が5700億円を費やした豊洲市場が開場した。その一方で、築地市場の解体作業も始まった。建物がなくなっても「築地ブランド(あるいはそのスピリット)」は続いて欲しい −− そんな期待が関係者の間では溢れる。

83年の歴史を誇った築地市場は世界最大、かつ最も活気に満ちた魚市場として名を馳せた。1日3万人が訪れる、都内で最も人気の観光スポットにもなった。

そのアイデンティティを形成するため、過去に計画的な取り組みがあったわけではない。だが「築地」は紛れもなく、日本有数の価値あるブランドとなった。そして様々な人々 −− 市場で働く誇り高き人々から、畏敬の念に打たれる観光客まで −− にとって、様々な意味を持つブランドでもある。

「一般の日本人にとって、築地とは歴史と品質、安全、そしてノスタルジーを象徴する誇りの源なのです」。こう話すのは、飲食関連の起業家で市場の非公式アンバサダーを数年間務めた宮内祥子氏だ。

だが、そのアイデンティティが揺るぎ始めている。

豊洲への移転は大きな物議を醸し、抗議運動は築地の閉場当日まで行われた。都は安全性と施設の近代化を移転の理由として挙げてきたが、反対派は「東京の一等地を商業活用するための手段に過ぎない」と主張。「豊洲がカジノになる可能性もあった」という人々もいる。彼らの反対理由は、「豊洲は地理的に便が悪く、市場を『住まい』と捉える個人事業主たちの商売を脅かす」というもの。またある向きは、「衛生的な環境に市場を移すことは観光を活性化させたい都の切り札」と見る(東京は世界有数の観光都市を目指している)。

こうした反対意見を払拭するため、都は築地ブランドの存続を表明した。新たな市場は正式に「東京都中央卸売市場豊洲市場」と呼ばれるにもかかわらず、である。

都のスポークスパーソンは、築地が「日本の食産業の基幹」であり、「歴史と伝統、品質や多様性における信頼性、そして活気ある風情によって形づくられてきた」と話す。

「市場の人たちは、今後も築地のスピリットを守って仕事を続けていきます。ゆえに築地ブランドは存続するだけでなく、更に勢いと訴求力を増していくのです」。そしてこうも付け加える。「豊洲市場にはビジターのための見学コースがあり、安全に迎え入れる施設が完備されています」。

その一方で、都はブランドアイデンティティの強化や支援に関する具体的な施策は明かしていない。これまでの移転の過程をよく知る観測筋は、「都は期待をしていても、戦略は描いていないようです」と話す。

「築地魂」を守る

つまり、ブランドアイデンティティを今後磨いていかねばならぬのは市場で働く人々自身、ということになる。市場で青果仲卸業を40年間営む「築地くしや」代表取締役の杉本雅弘氏は、「築地魂」というブランド名を商標登録した。移転後も続けて使用し、商品に使いたいという要望があれば許可していく意向だ。この商標登録で、「市場に関係のない業者が『築地』の名を勝手に使うことを防げれば」と話す。「築地ブランドはかけがえのないもの。その力はコミュニティの強さに集約されます」と同氏。

杉本雅弘氏が作ったステッカー。


「築地の人たちのスピリットは変わりません」。こう話すのは、長靴専門店「伊藤ウロコ」を経営する伊藤嘉奈子氏。築地を「2番目の家族」といい、移転した店では「築地魂」のロゴが入ったTシャツも売る。「建物が新しくなり、人が移ってもこれまでと同じ。それらしい雰囲気を作り上げるのに多少時間がかかるだけでしょう」。

それでも杉本氏や宮内氏といった人々は、築地が何十年にもわたって築いてきた独特の空気を豊洲が継承することを、もっと都が積極的にPRするべきだという。「でも、都が責任を果たすかどうかは疑わしいですが」(杉本氏)。

同氏のような仲卸業者は今後、自分の会社をよりブランド化していく必要にかられるだろう。テクノロジーの進化によって、これからの消費者は時に商品を見ずとも生産者から直接購入するようになっていくからだ。寿司ダネ専門店「丸十高橋」の仲卸業者で今年76歳になる高橋皖司(かんじ)氏は、これまでの人生のほとんどを築地で過ごしてきた。「新しい市場に来るお得意さんが減るのが心配」と危惧する。

「直接買いに来てくれるよう、是非お願いしたい。築地ブランドが存続していくかどうかは、お得意さんたちにかかっていますから」。もし彼らが去ってしまえば、ブランドづくりをまた一から始めなければならない。「数年とか10年とかではブランドは確立できない。時間のかかる仕事です」。

高橋皖司氏。築地の「丸十高橋」で。


移転する店舗に関しても混乱が生じている。築地市場内の仲卸業者や飲食店は豊洲に移るが、場外市場の物販店と飲食店は築地に残る。だが、それらも移転するか閉店してしまうと思っている人々は数多い。都のアピール不足を補うため、いくつかの商店や会社は「私たちは移転しません」と記したビニール袋を先月からつくり始めた。

「ありのまま」のアイコン

築地市場とその飲食店の観光スポット化にいち早く貢献したという、すし店「鮨文」の5代目・礒貝真喜氏。市場も同氏のすし店も、「既に移転を経験して生き残ってきた」という。築地の前、東京の魚市場は日本橋にあった。同氏にとって築地はブランドというよりも「人生そのもの」。観光客を惹きつける理由は食べ物同様、「独特の文化」にあると考える。鮨文も豊洲に移るが、同氏はリセットの機会と捉え、築地ブランドの果たす役割は「今後ほとんどなくなるでしょう」と話す。

「新しい店が今の人気を取り戻すまでには長い年月がかかるでしょう。今の店は、外に行列ができるようになるまでに10年かかりました。大変でしたが、また同じことを繰り返さなければならないと思います。でも今はソーシャルメディアがあるから、少しは楽かもしれないですね」

礒貝真喜氏。同氏の「鮨文」も豊洲に移転した。


「観光客の視点からすれば築地はブランドであっても、ブランドアイデンティティではありません」。こう話すのは、デンマークのブランディング及びデザインコンサルティング会社「コントラプンクト(Kontrapunkt)」の共同設立者ボー・リンネマン氏。同社はデンマーク政府の各省庁のロゴデザインを手がけている。リンネマン氏は築地市場に長年強い関心を抱き、通い続けてきた。営業最終週も東京出張の合間を縫って訪れた。

「ビジュアルアイデンティティがなくても築地市場はブランドになり得ます」。同氏にとって築地とは、「独特の匂い、床に付いた血、魚、大きな包丁を持った人々、機械類やトラック……こうしたものが混在する場。その活気と独自性は、世界のどこへ行っても体験できません」。

「飾らないありのままの雰囲気が築地をアイコンにした」と話すのは、日本と英国で仕事をするブランディング及びデザインコンサルタントのサイモン・ブラウニング氏。こうした要素は、豊洲では必ず変わる。築地を訪れた観光客は働く人々と肩をすり合わせるように歩き、スピードを出して行き交う小型運搬車「ターレット」(ターレ)を飛び跳ねて避けていた。だがこれからは、市場の様相をガラス越しに眺めることになる。

ロンドンの魚市場・ビリングスゲート移転の際も、庶民の伝統的な仕事風景が見られる場所であったものが、近代化された流通センターに変わってしまった。ブラウニング氏は「豊洲も同じような道を歩むでしょう」といい、「築地のレガシーではなく、豊洲独自のメリットを生かして観光客を惹きつけるべき」とも。

「ブランディングの取り組みは、もっとずっと前から始めるべきでした。様々なステークホルダー(利害関係者)とともに、長期的目標を話し合うべきだったのです。だからと言って、豊洲のブランドアイデンティティを強引なやり方でつくるべきではないですが」

伊藤嘉奈子氏。築地「伊藤ウロコ」にて。


「ブランド」を超えた築地

「都が活用しようとしている築地の資産は、ほとんどが無形のもの。その歴史や、観光客がイメージする『本当の日本』が垣間見えるところ、といった要素ですね」とブラウニング氏。「築地に匹敵する魅力的なロケーションは、都内ではほかに思いつかない」。

「年季が入った正真正銘の魅力、というのは決して移し変えることはできません。今後はとりわけ、観光客に『テーマパーク的体験』をさせないよう注意すべきでしょう」

「築地の魅力も、結局は移転の理由となった。実のところ、築地はブランドではありません。異文化で生きる人々の暮らしを実際に体験できる場なのです。競りを見るため早朝に赴いたり、仕事場のすぐ近くで食事をしたりする『不便さ』が、発見や特別な経験という気分をより高め、大きな魅力にするのです」。

「都がブランド用語で全てを定義しようとすればするほど、その魅力は薄れていく。築地で行われている熟練作業は、感性の問題です。いずれにせよ、都や政府はこれまで日本のイメージをつくることに関与しすぎた。その結果は大体が不自然なものです」

リンネマン氏は、「より具体的なアイデンティティが豊洲の恩恵になるとは思わない」という。「特定のロケーションとアイデンティティを結びつけることは、皆が考えるより観光客にとっては重要ではない気がします」。

「実際に観光客は市場のことを『築地』として知っているでしょうか? 私はそうではなかったし、海外のほとんどの人たちも同じでしょう。あくまでも、『トウキョウ・フィッシュマーケット』なのです。もしかしたら場所を冠した名称ではなく、より普遍的なものにした方がいいのかもしれない。結局のところ、また移転するかもしれませんしね」

取材を終えて:そもそも築地がブランドとして受けとめられるようになったのは、市場で何十年にもわたって暮らしてきた人々がいかに卓越した仕事をしてきたか、ということの証だ。そうした要素こそがブランドにとって最も重要であることを、改めて思い知らされる。日本の食文化を世界が賞賛する今、たとえ体験の「濃度」がやや薄まったとしても、豊洲は人気の観光スポットであり続けるだろう。より重要なのは、ビジネス環境の変化で新たな課題を抱えた個人事業主たちが、今後いかにそれぞれをアピールしていくかという点に違いない。

(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳・編集:水野龍哉)

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