Matthew Keegan
2022年9月16日

今話題の「静かな退職」は、広告業界に波及するのか

ソーシャルメディア上の新たな流行語の一つに過ぎないと思われた「静かな退職(Quiet Quitting)」が、広告業界にも影響を及ぼし始めている。APACの業界リーダーたちにその対応を尋ねた。

今話題の「静かな退職」は、広告業界に波及するのか

「静かな退職」とは、与えられた以上の仕事をしない働き方を示す言葉で、今年の初めに投稿されたTikTok動画をきっかけに、Z世代のあいだで一種のバズワードとなっている。最低限の仕事しかしないこと、あるいは頑張りすぎないこととも言える。

だが、広告業界のような長時間労働と低賃金で知られる業界にとっては、静かな退職が、ソーシャルメディア上の薄っぺらなトレンドにとどまらないことが明らかになりつつある。

「長年にわたって強固なエージェンシー文化を築き上げることに力を注いできた私にとって、静かな退職の代償は非常に大きい」と、アーキタイプでAPAC(アジア太平洋)地域の副リージョナルディレクターを務めるメイ・リン・ヨウ氏は言う。

「積極性に乏しい従業員、向上心や熱意に欠けた従業員、そして共通の目標に向かって共に取り組もうという意欲のない従業員が、あらゆる面で障害になっている。わかりやすく言えば、数は揃っていても、その全員が仕事に打ち込んでいるわけではないということだ。このような差が生じることで、それでなくてもひっ迫している人材にさらに負担がかかっている。チームは疲弊し、仕事はきつくなり、クリエイティビティやコラボレーションは失われ、会社は苦しんでいる」と、ヨウ氏は語る。

静かな退職は、実は中国から始まったとも言われる。中国では、働き過ぎて燃え尽きた従業員らの、静かな退職のような働き方のことを「躺平(タンピン:横になる)」と呼んでいる。彼らは、自身の健康やウェルビーイングを犠牲にしてまで、与えられた以上の仕事をする価値はないと結論付けたのだ。

「大切なのは、静かな退職を従業員側の問題だと捉えないことだと思う」と、VCCPシンガポールのある人物は、匿名を条件に語ってくれた。

あらゆる関係性がそうであるように、人と会社との関係も双方向に作用する。人は自分が得られた分だけを返すものだ。会社が自分のことを大切にしてくれていると感じられないなら、得られた以上のものを返そうと思わなくても当然だろう。――VCPPシンガポールのあるスタッフ

また、静かな退職は、得られた以上のものは返さないという考え方だけから来ているわけではなく、パンデミックを経た人々が人生における優先事項を見直すなかで、それがより先鋭化したものだとする見方もある。

「私は『静かな退職者』を何人か知っているが、彼らは正気を保つためにそうしている。一息つける自分の時間を取り戻そうとしているのだ」と、先のVCCPの人物は語った。「とりわけ、生活のペースが速くなり過ぎたり、燃え尽きてしまったり、さまざまな状況をコントロールするのが難しくなったりしたときに、仕事とそれ以外のあいだに明確な区切りを付けることで、バランスを保とうとするのだ」

ワークライフバランスを求める人々に対する誤解

「静か」であるかないかにかかわらず、「退職」と言う言葉はそれ自体にネガティブな意味合いが含まれている。だが、静かな退職という表現は、この運動の本質を的確に表していないのだという人もいる。

「この運動の主旨は、自身に主導権を取り戻すということだ。だが、『静かな退職』という表現は、この健全な行動に否定的な意味合いをもたらし、労働者が文化的ムードに便乗しているだけだという誤った印象を与えている」と、ヴァーチューでAPAC地域の戦略担当ディレクターを務めるゾーイ・チェン氏は話す。

「仕事と生活の健全な境界線の設定は、会社と従業員の両方が必要とし、長年求められてきた態様や振る舞いの変化のひとつだ。仕事との関係性をより健全にするために『静か』にしている必要はない。仕事を持続可能なものとするためには、私たちは声を上げて対話を始める必要がある。つまり、会社と従業員の双方を巻き込んで、より持続的な職場環境を実現するための変化を起こしていく必要があるのだ」(チェン氏)

チェン氏は静かな退職について、それが決してネガティブな運動ではなく、Z世代が、新しい生活スタイルを求めて有害な社会規範を拒否するという、より大きな文化的変容の一環であり、自身のアイデンティティを仕事だけで定義されたくないという意志が、その動機の根底にあると考えている。

「会社と従業員の双方が、前のめりで意欲的であることを当然だと思ったり、あるいは24時間365日働く必要があると感じたりすることをやめて、そのような風潮が職場に広がる状況を許さないようにすることが重要だ」――ゾーイ・チェン氏

「私たちは、機械の歯車以上の存在であることを再認識する必要がある。(静かな退職は)信頼とチームワークをベースとした生産的かつ健全な関係性を築くためには、会社と従業員が、互いに期待していることや、働き方などについてオープンに話し合う必要があることを示す広範な兆候のひとつだ」(チェン氏)

静かな退職に意味はあるのか

広告業界では、仕事とメンタルヘルスのバランスをうまく取ることが重要だと考える人は多い。だが、静かな退職がその手段になるとは考えない人も多い。

DDB香港でクリエイティブディレクターを務めるクリステル・チョン氏は、「静かな退職に現実的な意味があるとは思えない」と話す。「クリエイティブ業界という、時間や労力をどの程度注ぎ込むかが個人の選択に任されている業界にいるのであれば、なおさらだ。もし、心がそこから離れてしまったのであれば、正式に休みを取って、目的や意味を見いだせる新たな役割や他のタイプの仕事を、どこか別の場所で探した方がいい」と述べた。

また、静かな退職という考え方はクリエイティブ業界で働く目的を完全に否定していると言う人もいる。

「ある種のワークライフバランスのようなものが必要だとは思うが、個人的には、自分の仕事がタイムカードを押しているだけのように感じられてくると、うまくいかなくなる」と、ブレイブ・ニュー・ワールド・コミュニケーション(Brave New World Communication)の戦略プランナー、サランシカ・パンディ氏は述べている。「クリエイティブ業界で働いている人は、他の人と異なる考え方を選択したからこそ、この業界にいるわけだ。そして、インスピレーションがものを言うこの業界で、他の人とは違うことをしようとしているはずだ。やるべきことは問題の解決策を見つけることであり、問題から逃げ出すことではない」

燃え尽き症候群か退屈症候群か(あるいはその両方?)

クリエイティブ業界が他の業界と本質的に異なる点は、クリエイティブな機会とそれを実現する自由があることであり、これらがなくなったときに恐れるべきなのは、燃え尽きることではなく、退屈することだと、VCCPシンガポールのCEO、クレイグ・メイプルストン氏は言う。

また、広告の仕事を持続的なものにするには、エージェントとクライアントの双方が責任を共有しなければならないと、同氏は付け加えた。

メイプルストン氏は、「不必要なピッチ、終わりのない修正作業、非現実的な予算、不明瞭なブリーフや急な要件変更などは、いずれも公正で意欲的に取り組む私たちの能力を低下させる」として、「ほとんどのクライアントは、スタッフの維持や持続可能なビジネス慣行に協力すると約束しているが、エージェンシーは仕事をする際に、そうした約束が確実に守られるよう、より結束して戦う必要がある」と述べた。

従業員に、モチベーションやつながり、そしてクリエイティブティを維持できる十分な機会を提供することはもちろんだが、十分な評価を与えることも、メンバーの離脱を防ぐための鍵となる。そう語るのは、メディアモンクス・チャイナでマネージングディレクターを務めるロジェ・ビッカー氏だ。

「私の考えでは、従業員が積極的でなくなったり、わざと成果を上げなかったり、いわゆる『静かな退職』を選んだりするのは、自分にふさわしい評価が与えられていないからだ」――ロジェ・ビッガー氏(メディアモンクス)

「私たちはこの業界の管理職として、従業員が個々の功績に対して正当な評価が得られ、心から励まされ、祝福されるような環境を構築するために、日頃からもっと努力する必要がある」

鍵を握るのはコミュニケーション

従業員が精神的に限界を感じ、静かな退職を考えているとき、その苦しみを和らげ、そもそもそのような状況に陥らせないようにするために、何ができるだろうか。

「重要なことは、従業員が自分たちにとって何が不都合なのかを、心理的な負担を感じずに発言できる場を用意することだ」と、アーキテクタイプのヨウ氏は言う。「彼らは、安心して異議を唱えたり変化を求めたりできているだろうか。彼らと共に解決策を探り、必要な変化の一端を担ってほしい。言葉は行動となり、静かな退職をするか、燃え尽き症候群になるしかないという、現在のストーリーを変えていく力となるだろう」

インドのバンガロールを拠点とするブレイブ・ニュー・ワールド・コミュニケーションでは、従業員がどのような問題に対しても声を上げられる場の一つとして、いつでも無料でセラピストに相談できるメンタルヘルスクリニックを活用している。

同社の創設者で最高クリエイティブ責任者を務めるジュノ・サイモン氏は、「私たちにとって極めて重要なのは、誰もが上位職と自由に問題を話し合えるオープンな環境を構築することだ」とした上で、「これがとても重要である理由は、閉鎖的で不透明な環境では、たとえ燃え尽き症候群になっている人がいても、気付けないからだ。そして、その人は黙って苦しみ続けることになる。だが、オープンな環境があれば、状況を容易に把握できるようになるはずだ」と説明した。

DDB香港でアソシエイト戦略ディレクターを務めるロナルド・リー氏は、静かな退職について会話をする方が、静かな退職という運動よりも、職場文化の改善には効果的だと考えている。つまり、良好なコミュニケーションがあれば、職場のほとんどの問題は解決するということだ。

リー氏は「職場のほとんどの問題がそうであるように、すべてはコミュニケーションの問題に行き着く」と指摘し、「もし会社が充実したキャリアを提供していないと感じるなら、会社にそのことをきちんと伝えるべきだ。支援を得られるかどうかは、あなた次第なのだ」と述べた。
 

提供:
Campaign; 翻訳・編集:

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