Jin Chua
2022年2月25日

人のアイデンティティは一つではない

消費者の、複数のアイデンティティの間にある対立や葛藤を理解することは、ブランドが先行者利益や長期的顧客ロイヤルティを獲得するのに役立つ。

(マトゥシュ・コヴァチョフスキー氏、アンスプラッシュ)
(マトゥシュ・コヴァチョフスキー氏、アンスプラッシュ)

消費者は、複数のアイデンティティを持っている。私やあなたと同じように。

多くの人にとっては、仕事上のアイデンティティが、自己のイメージを決定づける重要な要素となっているだろう。知り合ったばかりの人に最初に聞かれる質問は大抵、「お仕事は何をされているのですか」だ。だが、私たちは仕事だけをしているわけではない。家族の一員であったり、スポーツやゲームが好きな人間であったり、冒険家であったりもする。

そして、どのアイデンティティにも個別の欲求や責任がある。しかし、あるアイデンティティが、他のアイデンティティと衝突することもある。これが「アイデンティティの葛藤」と呼ばれる状況だ。

誰もがよく知っているワークライフバランスについて考えてみよう。実のところ、これは「ワーク・ファミリー・コンフリクト(仕事と家庭の葛藤)」と学術的に呼ばれる状況への対処を意味する言葉だ。職業人としてのアイデンティティと、家庭人としてのアイデンティティの、両方の欲求や責任に同時に対応することは難しい、あるいはうまくいかないということを、この言葉は示している。

たとえば中国では、就業者や大卒者が大幅に増加したことで社会に不安が広がっている。解雇されないようにするには、仕事に熱心な姿勢を示し、スキルも高める必要があるため、労働時間の増加が避けられない。その結果、家族と過ごせる時間が減り、家族の一員としての役割を果たすことが難しくなっている。

アイデンティティの葛藤を理解する

アイデンティティの葛藤について理解するには、アイデンティティの顕在性と中心性という概念を学ぶことが役に立つ。

アイデンティティの顕在性とは、特定のアイデンティティがどのくらいの頻度で顕れるかを示す言葉だ。私たちのアイデンティティは、場所、状況、社会的相互作用をきっかけとして顕れる。たとえば、職場で同僚に会うことによって、職業人としてのアイデンティティが出現し、そのアイデンティティに沿った行動や振る舞いをするようになる。したがって、1日の大半を職場で過ごす人は、仕事上のアイデンティティが表に出ていることが多い。

これに対し、アイデンティティの中心性とは、あるアイデンティティが自分にとってどれほど重要かを示す言葉だ。たとえ頻繁に顕れることはなくても、心の中で最も大切にしているアイデンティティがこれに当たる。最もよく顕れているのが仕事上のアイデンティティであっても、心の中で大切にしているのは、家族の一員としてのアイデンティティだということもあるだろう。

ある実証研究によれば、顕在性または中心性が強いほど、そのアイデンティティに関わる葛藤が、より大きな苦痛をもたらす傾向にあるという。ここで重要なのは、アイデンティティの葛藤がすべて同じような心理的影響をもたらすわけではないということだ。そのアイデンティティの顕在性や中心性が強いほど、心理的な影響や感情的な葛藤が強くなるのだ。

ブランドはたいてい、消費者の単一のアイデンティティ(またはペルソナ)にのみ注目し、そのアイデンティティが、実はより幅広いアイデンティティセットの中の一つなのだと理解しようとしない。だが、消費者の生活全体に目を向け、自社の製品カテゴリーを超えて、消費者の行動全般を調査すれば、より深いインサイトが得られ、消費者との感情的なつながりを強化することにも役立つだろう。

消費者の生活全体に目を向ければ、その人の顕在性の強いアイデンティティや中心性の強いアイデンティティを見極められるようになる。そうすれば、ブランドが、消費者のアイデンティティセットのどの部分にフィットするのか、消費者の葛藤や願望に訴えかけるにはどうすればよいのかを知る手がかりが得られる。リアルタイムトラッキングやエスノグラフィー(民族学)、人間中心のメソッドなどを駆使して、消費者に関わる空間や状況、人間関係などを調査することは、この点で役に立つだろう。

インドネシアのコスメブランドであるワーダー(Wardah)は、参考になる事例の一つだ。ハラール化粧品のパイオニアである同社は、イスラム女性が抱える、宗教上の義務と世俗的な願望のあいだにある葛藤を理解することによって、この成長市場で先行者利益を得た最初のブランドとなった。

将来のアイデンティティセットのあり方

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、私たちが知っていた生活を根底から変えてしまった。今では多くの人が、人生に意味を与えてくれるものが最も大切だと考えるようになり、顕在性の強い仕事上のアイデンティティと、中心性の強いアイデンティティとの葛藤を戦っている。「大離職時代」が到来する一方で、「昼は仕事、夜は生きがいの探究」というワーケーションが登場しているのもその現れだ。

こうした傾向は、消費者が自分のアイデンティティセットを見直し、新たな方向性を見つけ出そうとしていることを示している。そして、(拡張現実、仮想現実、メタバースなどの)テクノロジーがこのようなプロセスを後押しし、さらに加速させるようになれば、消費者はこれまでにないペースで、アイデンティティを創り出したり、試したり、捨て去ったりするようになるだろう。

したがって、私たちはもはや、アイデンティティセットを変化しない単一のものと考えることはできなくなった。それどころか、アイデンティティが急速に変化し、顕在性と中心性という観点から絶えず見直される時代に備える必要があるのだ。

ブランドはこの問題に立ち向かい、急速に変わりつつある消費者に語りかけなければならない。とはいえ、消費者のアイデンティティセット全体を理解し、本当に重要なことに訴求できるならば、より忠誠心が高く満足度も高い顧客基盤を得ることができるだろう。


ジン・チュア氏はクォンタム・コンシューマー・ソリューションズ(Quantum Consumer Solutions)のアソシエイト。

提供:
Campaign; 翻訳・編集:

関連する記事

併せて読みたい

1 日前

フェデラー選手、若いファンとの約束をサプライズで実現

テニス界のレジェンドが、かつて約束を交わした若いファンの前にサプライズで登場し、一緒にプレーを楽しんだ。

1 日前

世界マーケティング短信:アップルがDSP設立を計画か

今週も世界のマーケティング界から、注目のニュースをお届けする。

1 日前

広告界は「週休3日制」を受け入れられるか

中小のエージェンシーではすでに試験的に導入されている週休3日制。しかし、より多くのニーズを満たさねばならない大手企業にとっては課題が多い。

1 日前

コロナ後は50歳以上のマーケットに注目:WPPレポート

WPPオーストラリア・ニュージーランドのプレジデントは、マーケターは、予測可能で無難な、お決まりの仕事とは決別し、コロナ後の世界に魔法をもたらすべきだと説いている。