我々の働く業界でもAI、特に生成AIを巡る議論は百花繚乱だ。最も懸念されているのはChat(チャット)GPTが人の仕事を奪い、我々を無力化してしまうのではないかという点だろう。
しかしながら、コミュニケーション業界の本質を踏まえれば、そうした事態に陥ることは決してないと私は思う。この業界の基盤を成すのは人と人とのつながりであり、エンゲージメント(関係性)だ。こうした要素はAI、ひいてはマシンやロボットと対極に位置するからだ。
コミュニケーションの重要性
パブリックリレーションであれレピュテーションマネージメント(評判管理)であれ、はたまたステークホルダー(利害関係者)やメディアとの関係性、管理職の能力評価であれ、コミュニケーション業界を構成する要素はコミュニケーションがあってこそ成り立つ。B2CでもB2Bでも、あるいはG2C(政府など公的機関と個人とのやり取り)であっても、コミュニケーションは人と人とのやり取りが基本だ。エンゲージメントとは人間同士の信頼を意味する。
だが時の経過とともに、コミュニケーション業界はいい意味でも悪い意味でも複雑化した。その結果、感情の欠けた巧妙なアプローチを編み出し、本来とは異なる役割をも担うようになってしまった。
我々に再び人間性の大切さを教えてくれたのは、パンデミックだった。それは社内に限らず、社外業務やステークホルダーとの関係構築でも欠かせない。多くの企業やエージェンシーのスタッフは人であることを再認識し、自身の姿をさらし、弱さを隠さず、実直になり、共感を求めた。この変化は実に新鮮で、業界のほとんどが好意的に受け入れた。
さらにこの時期、人々は懐疑的かつシニカルになった。消費者は利潤追求に専念する企業に疑問を投げかけ、気候変動やESG(環境、社会、ガバナンス)などの課題で率直な対話の必要性を訴えた。口約束だけでは誰も満足せず、企業に対して厳密な調査が行われるようになったのだ。
消費者の要望は至ってシンプルだった。「人間として話してほしい」「正直に全てを語ってほしい」「社会に良い影響を与えているのなら、信頼できる証拠を示してほしい」。Z世代は独自の言い回しで、「bring the receipts(証拠を見せてくれ)」と訴えた。
混乱と恐怖
我々が自身を再発見した2023年、チャットGPTが出現した。そして生成AIのうねりはコミュニケーション業界に混乱と恐怖を生み出した。我々も他の業界同様、最新のAIが持つ影響力の大きさと潜在力をじかに感じている。だが多くの議論が交わされる一方で、基本的な論点はいまだに見過ごされている。
AIは人になり得るのか?
忘れてならないのは、様々なAIやマシンラーニング(機械学習)、他のスマートテクノロジーは、人間の手によって初めて機能するという点だ。チャットGPTは人が入力することで作動する。出力する成果物も入力と、チャットGPTがオンラインから得る情報によってクオリティーが決まる。基本的にチャットGPTも生成AIも、「賢さ」では人や他の情報源にひけをとらない。そして、さらなる向上の可能性を秘めている。だがこれらのツールが決して学習できないのが、「感情」だ。感情こそが、人と機械とを隔てる重要な要素なのだ。
では、AIは人間になれるのか。その可能性はほぼないと思う。なぜなら、テクノロジーが今後進歩を続けたとしても、人の感情的側面を再生することはできないからだ。少なくとも我々人間が互いにコミュニケーションを取ったり、信頼を醸成したりするようなやり方はテクノロジーにはできない。我々は自分たちが持つ感情、特に「共感」の素晴らしさを再認識し、それを活用することでテクノロジーへの不安や恐怖を払拭せねばならない。人としての道理や価値・倫理観を見直し、人間性を取り戻し、信頼を醸成し、率直さと誠実さを維持することが、AIに仕事を奪われないための最善策と言えよう。
人間性の時代
生成AIの答えに戸惑いつつも、その進化を期待し、全てをAIに頼ろうとすることは危険だ。AIをコミュニケーション業界でどのように活用すべきか、まずはその必要性をじっくりと見極めよう。人が主導して成果物を導き出すのであれば、日常業務に生成AIツールを取り入れることは全く問題ない。
我々の業界は人間同士のインタラクションとエンゲージメントによって成り立っている。マシンやテクノロジーはあくまでも目的遂行の補助手段に過ぎない。これらのツールが人に代わってコミュニケーションを取り、ストラテジストやクリエイティブ、アーティストの役割を果たすことはあり得ないのだ。
(文:チャル・スリヴァスタヴァ 翻訳・編集:水野龍哉)