Antoine Gouin
2020年8月06日

今は体験を諦めるべき時ではない

オーディトリア(Auditoire)のアジア担当CEOは、「一時しのぎ」のデジタル体験は、リアルの体験のインパクトには到底かなわないと主張する。

デジタルの要素を取り入れたヘネシーのライブイベント
デジタルの要素を取り入れたヘネシーのライブイベント

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)時代のデジタルマーケティングを称賛する記事はもういらない、という人々の不満の声が聞こえてくる。幸い、これから書くのはそのような記事ではない。

パンデミックの到来とともに、ある物語が生まれ、誰にも疑念を抱かれないままに根づいた。それが「ニューノーマル」という物語だ。この物語の中では、人々は外出や人混み、生(ライブ)の体験を拒絶するとされている。

したがって私たちは、彼らのスマートフォンに直接メッセージを伝え、通勤中や食事中に「忘れられない感動的な体験」をしてもらい、彼らの大好きなゲームと共存しなければならないという提案がなされる。私たちの業界は時代への反応として、空っぽのスタジオや画面背景になるグリーンバック、ライブストリーミングのドリームチーム、ミニアプリ、AR/VR/MR/XR/KOLによるプレゼンテーションといったものを不自然に寄せ集め、体験型マーケティングの新しい革新的な未来をつくり上げた。つまり、オンラインでのデジタルイベントだ。

誰も口にしない重要な問題は、これが「新しい」わけでも「革新的」なわけでもないことだ。こういったフォーマットやテクノロジーがパンデミックのずっと以前から存在していたとしたら、論理的に考えると、次のような質問が続く。なぜ2019年に、この「未来」が訪れなかったのだろう?

リーチVSインパクト

答えはわりとシンプルだ。もしデジタルイベントの商業的な目的が、大衆に対して、商品の割引や有名人による推奨といったシンプルで表面的なメッセージを広めることであるとしたら、テレビコマーシャルや道路沿いの広告看板と同様に、十分な効果が期待できるだろう。

しかし、本物の体験型マーケティングはこれまでずっと、量より質の世界であり続けてきた。大衆に束の間の印象を与えることは、その目的ではない。ターゲットと焦点を絞り、「人々を参加させること」が目的なのだ。それは、19世紀半ばの万国博覧会で産声を上げてから、エドガー・デールの「経験の円錐」や、デイヴィット・コルブの「経験学習」といった20世紀後半の画期的な理論に至るまで、体験型マーケティングが一貫して提唱してきた原則だ。人々がブランドについて知り、ロイヤルティや愛情を抱くには、ただ見物するのではなく、参加する必要があることが証明されているのだ。

私たちの業界的には 、最もインパクトが強く感動的で、リアルなところにいつも身を置いてきた。親密なやりとりを通じて、ブランドと消費者の距離を縮め、本物の思い出を生み出してきた。そうすることで私たちは、上質なコンバージョンやブランドを長く支持するファンをもたらしている。こうしたファンたちは本当の意味で、自らの体験を仲間たちと共有する。

これは、純粋なオンラインイベントが問題にぶつかる場所でもある。最近見たオンラインイベントを思い出し、「私は何を体験したのだろう?」と自分に問いかけてみよう。有名人が報酬と引き換えに、空っぽのスタジオで、新しいSUVについて語る映像を見て、象徴的な瞬間を目撃していると感じただろうか? スマートフォンのボタンを押してオンライン投票しながら、積極的に参加している実感を得ただろうか? 生の体験から得られる「私はそこにいた」という感情を言葉として発信することで、FOMO(取り残されることへの恐怖)は解消しただろうか? さらに、数年後あるいは数十年後、自分の子や孫に思い出話をするだろうか?テレフォンセールス形式のやりとりやモーショングラフィックの仕掛けで、これは本物だと納得できただろうか?

(65dBと共同で実施したソーシャルリスニング調査では、オンラインイベントにおける     、オンラインディスカッションでの話題の中心はKOL[キー・オピニオンリーダー]であり、製品への言及はほとんどなかった     ことを示す結果が出ている。)

デジタルはツールであり、フォーマットではない

パンデミックへの性急な反応は、最大限の露出を優先させ、最小限のインパクトしか与えず、画一的で感情に訴えることのない、共有も持続も不可能なインフォマーシャルを大量に産みだした。こうしたフォーマットに消費者がうんざりしている証拠も出始めている。ほとんどのインフォマーシャルは、それを制作したエージェンシーの記憶にしかとどまらない、ということになるだろう。こういった反応を招いたパンデミック危機は収束しようとしているが、一時しのぎの解決策に対して過剰に依存してしまうと、私たちが本当にやるべきことからの逸脱を招く恐れがある。私たちがやるべきことは、どんどん複雑化する消費の世界で、創造的で大きなアイデアを生み出すことだ。

体験型マーケティングのなかにデジタルの居場所はあるのかと問われれば、その答えはもちろん、イエスだ。ただし、デジタルの強みと限界を率直に話し合う必要がある。ライブイベントを充実させ、そのインパクトを失わないために、どのようにデジタルを利用すればよいかについて、批判的に考える必要があるのだ。私たちはデジタルを、私たちの目的のために使わなければならない。なぜなら現在のデジタルは、「体験型マーケティングの未来」とは程遠い状況にあるからだ。

ようやく理解したのだが、今は私たち体験型マーケティングに関わるものたちが少なからず大きな打撃を受ける異常な時代だ。当然のことながら、何としてでもキャッシュフローを維持しなければならないというプレッシャーも存在している。

しかし、マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な言葉のように、「人間の本質とは、快適で便利な状況ではなく、試練や論争に立ち向かっているときに表れる」ものだ。これは心に留めておくべき金言だ。私たちは、常に選択肢を与えられている。何が効果的なのかを、クライアントに嘘偽りなく伝えることができるか。そして何より、「本物の体験」について積極的に主張することができるか。あなたがデジタルのために何ができるかではなく、デジタルがあなたのために何ができるかを問うてほしい。


アントワン・グワン氏(Antoine Gouin)は、Auditoire Asia CEOを務める。

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