David Blecken
2018年4月12日

「時を超えた」ブランドのサバイバル

伝統を重んじる時計業界でもイノベーションは不可欠だ。明確な問題意識を持たないブランドの生き残りは、極めて難しいだろう。業界の今を見つめる。

バーゼルワールドの入場者は、この数年で激減した。(写真提供:AFP)
バーゼルワールドの入場者は、この数年で激減した。(写真提供:AFP)

本来的には必要のないカテゴリー、と言える高級腕時計。だが一つひとつの製品には、多くの人々のエネルギーが込められている。高級時計ブランドは今も変わらず愛好家たちの情熱をかき立て、その幹部たちは「時計が装いの重要なポイントであることは30年前と変わらない」とアピールする。

その一方、世界最大の時計・宝飾の見本市であるバーゼルワールドは今年、開催期間が2日間短縮された。この2年間で来場者と参加ブランドが急激に減ったためだ。時計文化を専門とするサイト「ホディンキー(Hodinkee)」によれば、「イベントの将来が危ぶまれている」。多くの人々の予想通り、アップルのスマートウォッチが機械式時計の脅威となることはなかった。だがそれを契機に、伝統的ブランドは独自の「アンドロイド版」の開発に乗り出した。

中級ブランドへのプレッシャーは、なお一層強い。セイコーやシチズンなどはブランディングの再検討を余儀なくされ、売上を維持するため富裕層に照準を合わせたリポジショニングを行った。デロイトがスイスの時計ブランドを対象に行った調査では、昨年第2四半期に3000米ドル(約33万円)以上の高級時計の売上が伸び、低価格の時計の輸出は逆に11%下落したという。

市場の変化

高級時計の魅力は何と言ってもその美学と歴史、そして優れた職人技であり、消費者に応じた様々なバリエーションだ。香港の世界的テック企業で働く30代のトニー・プーン氏はアップルの熱狂的ファンだが、アップルウォッチの予備としてオーデマピゲのロイヤルオークを購入した。その理由は「イノベーションの長い歴史があり、ブランドが独立していて(主要な高級ブランドのグループに入っていない)デザインが象徴的だから」。

「時計を選ぶときの判断基準は、イノベーションの長い歴史があるか、カーボンファイバーのような航空宇宙産業用の先端素材を使っているかのどちらかです」と同氏。機械式時計は普段あまり身に付けないが、持っていることに満足感を覚えるという。ほかにはパテックフィリップ、バセロン、コンスタンチン、リシャール・ミルといったブランドが好みだそうだ。

プーン氏にとって機械式時計とスマートウォッチを比較することは、「馬と地下鉄システムを比べるようなもの」。「両方とも交通手段には違いありませんが、考え方がまったく違います。機械式時計はアップルウォッチのように大量生産されるデバイスと違って、個人的な芸術作品に等しい」。

この2つを直接比較することに意味はないかもしれないが、「『人の手首の奪い合い』をしていることは確か」というのはブランドコンサルティングファーム「コワン(Cowan)」のアジアCEO、ポール・ゲイルスルート氏。デロイトによれば、スマートウォッチの世界での出荷高は昨年第1四半期で48%伸び、アップルは世界最大の時計ブランドである「ロレックスを追い抜いた」と豪語する。この動きに呼応して、タグ・ホイヤーやレッセンス、更にルイヴィトンですら機械式とスマートウォッチ双方のコンポーネントを持った革新的製品を売り出した。デロイトによれば、スイスブランドの幹部たちの48%がこのハイブリッド型に将来の可能性を見出しているという。
 

レッセンスは伝統とテクノロジーを融合し、成功を収めたブランドだ。(写真提供:レッセンス)

中級ブランドの戦略

ほとんどの中級ブランドがスマートウォッチなどのウェアラブル端末の脅威を受けていることは間違いないが、イノベーションの段階にはまだ入っていない。セイコーはグランドセイコーのラインで、シチズンは企業買収で高級ブランドへの対抗を試みる。また、ラドーはデザイン性を打ち出すことで差別化を図る。

ラドーが直面する課題は、一貫性のないブランド認知だ。例えばインドでの人気はロレックスと肩を並べるが、日本ではかつてのステータスを失い、それ取り戻そうと奮闘している(発売当初は小さな時計屋に陳列されている程度だった)。今ではインダストリアルデザイナーのコンスタンチン・グルチッチ氏からファッションデザイナーの森永邦彦氏まで、幅広いゲストデザイナーとコラボレーションを行う。

日本のブランドディレクターである福原美知代氏は、「これまでの道のりは険しいものでしたが、スイス本社が日本を主要市場に定めることで前に進むようになった」と話す。個人商店向けブランドのレッテルを脱却してからは、独自の“未来的イメージ”(すぐに時代遅れになった)も拭い去った。「消費者を年齢層ではなく、嗜好別で捉えるように心がけています。デザイン性は若者層にアピールする重要な要素かもしれませんが、裕福な中高年層の顧客を維持することも大切ですから」。

ラドーはかつてテレビ広告を行っていたが、現在注力するのは小売と、インスタグラムのようなオンラインプラットフォームだ。デロイトの調査では、スイスブランドが過去3年間で最も重要なマーケティング要素として挙げたのはソーシャルメディアだった。これは特に、日本に当てはまる。消費者が購入する際に最も大きな影響を受けるのはソーシャルメディアで、続いて印刷媒体やインストアイベント、と時計ブランドは考える。

ラドー製品の平均価格帯は、2〜3000米ドルで、値上げの予定はない。福原氏は、「セールススタッフのトレーニングに予算をかけたことは重要だった」という。より高級な市場に参入することには懐疑的だ。「そのためには製品を変えるだけでなく、それに関わる全ての要素を変えねばならない。2万円の時計を売るブランドから50万円のブランドになるには、全ての購買体験が一貫していなければならないのです。そうでなければ消費者は納得しませんから」。

ラドーは、アートやエディトリアルのトレンド予測で名を馳せるリドヴィッチ・エデルコートとも協働する。(写真提供:ラドー)

ジオメトリー・グローバル・ジャパンのチーフストラテジーオフィサー兼ヘッドオブデジタルのアンドレアス・モエルマン氏は、グランドセイコーのようなブランドは高級時計市場の「ごく一部の消費者にはアピールする」と話す。「自分が求めているものを本当に分かっている人々です」。グランドセイコーの品質は疑いの余地がない。特にマス市場に流通している機械式時計の機構の大半が中国の工場で大量に生産されていることを考えれば、なおさらだ。ただし価格を考えれば、「多くの消費者はロレックスや、グッチですら選ぶでしょう。これらのブランドの方が所有者の個性をより反映するからです」。

ゲイルスルート氏は、トヨタや日産が独立した高級車ブランドをスタートさせた自動車業界に例える。高額のトヨタ車とアウディのようなブランド、どちらを選ぶかは「とても難しい問題です」。グランドセイコーがまだ克服できていない課題の1つが、「明快さ」だ。広告は他の高級ブランドのフォーマットを踏襲しているが、一貫性に欠け、スイスのライバルたちが長年築き上げてきた威信も持ち合わせてはいない。

サバイバルを賭けて

それでは、中級ブランドに未来はあるのだろうか。モールマン氏は、市場で明確な個性を打ち出しているカシオのGショックをその好例として挙げる。観測筋は、「時を告げる以外にはっきりとしたメッセージ性のない著名ブランド −− 根本的にはほとんどの中級ブランド −− は隅に追いやられ、売上の減少とともにインフラストラクチャーのコストが重みとなって衰退していくだろう」と予想する。 

モールマン氏は、「中級ブランドにとって一番の希望となるのは、従来の製品ではなくスマートウォッチを部分的に取り入れて高級ブランドと競うこと」だという。「自動車や音楽など他業界の進化を見ると、単発で製品を出すだけではなく、全体的なエコシステムをどのように構築するかが重要な鍵です」。例えばトヨタは、売上の減少で軸足を置き換え、車メーカーではなく“モビリティプロバイダー”としてリポジショニングを行った。

「つまり製造業者からサービスプロバイダーへとステップアップし、そのためには何が必要かを理解することです」と同氏。言葉にすればエキサイティングだが、実際こうした動きは事業を根本的に転換せねばならず、極めて難易度が高い。更にアップルやガーミン(Garmin)のようなGPSテクノロジー企業が幸先良いスタートを切ったことを考えれば、もう既に遅すぎるかもしれないのだ。

だが新規参入者は、レガシーを抱えるブランドよりもずっと簡単に進化できる要素を持ち合わせていることも間違いない。ダニエル・ウェリントンのようなブランドは、シンプルな製品とオンラインに特化した消費者直結型のセールス、そしてインスタグラム世代に合わせたマーケティング戦略で成功を収めた。

インスタグラム世代の若者たちが個性をどう演出したいのか理解することは、時計業界全体が生き残っていくための最大の鍵かもしれない。「若い消費者は社交的な機会のためにフォーマルな時計も持っていたいのです。でも時計メーカーは、時代に遅れまいとすることしか考えていない」とプーン氏。高級ブランドは通常、カスタマイズには応じない。故に、バムフォードウォッチデパートメントのような独立した専門ブランドの需要が落ちることはない。だがそれも今、変わりつつある。この3月、IWCは消費者がクロノグラフを自分仕様にデザインして発注できるオンラインツールをスタートさせた。まだ判断は早いが、こうした動向は新たな消費者を獲得する上で、業界の重要な変化の予兆かもしれない。

「基本的に全ての消費者は、『驚き』を求めているのです。自分たちの予想を凌ぎ、畏怖の念を抱き、興奮するような製品をね」とモールマン氏。「時計は絶対に必要なものではありません。だからこそ消費者が欲しくなるように仕向けねばならず、一旦彼らがそうなれば値段を気にしません。様々なターゲット層にこうした驚きを提供することが、前に進んでいく術なのです」。

世界市場から見るスイス時計ブランド(デロイトの調査より)

  • 購買者のほとんどは実際の店舗で購入するが、その60%は事前にオンラインで製品や価格をチェックする。
  • スイスブランド幹部の55%が、eコマースやデジタル面を強化することが最優先事項と考えている。
  • 同じく34%は、今後5年間で公認のオンライン小売業者が販売の上で最も重要なルートになると予想。
  • 2017年に機械式時計の輸出は1.9%増加したが、クォーツ時計は5.7%減少。
  • 2017年のアジアでの売上は前年と比べて35%増加。ブランド幹部の71%は昨年、アジアでの成長を予測していた。
  • 「スマートウォッチは大きな脅威」と考えているのは、ブランド幹部のわずか23%。
  • 中国の消費者の49%は、「2年以内に購入するならスマートウォッチ」と回答。日本は28%。
  • 中国のミレニアル世代の78%は、「もし5000米ドルを自由に使えるなら、機械式時計を1つ購入する」と回答。

(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳・編集:水野龍哉)

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