Robert Sawatzky
2022年6月30日

電通との「結婚」と「離婚」:マーリー・ハイミー氏

電通のアジア太平洋地域(APAC)でクリエイティブチーフを務めていたマーリー・ハイミー氏が退職した。電通に在籍して得た学びや、今後の計画などをCampaignに語る。

マーリー・ハイミー氏
マーリー・ハイミー氏

電通でAPACのチーフクリエイティブオフィサーを務め、地域のクリエイティブ界にも大きな影響力を発揮したマーリー・ハイミー氏が6月末をもって退社した。

同氏は2005年、アレックス・サイフー氏と共にマニラでクリエイティブエージェンシー「ハイミー・サイフー・グループ」を設立。2015年に電通イージス・ネットワークの子会社となり、電通フィリピンと合併、電通ハイミー・サイフーとなった。2020年、電通マクギャリーボウエンの発足に伴いシンガポールに移り、ジョン・デュプイ氏と共にグローバルプレジデントに就任した。

自ら「チェアマム」(『母親』兼会長の意)と称する同氏。電通を去った理由や巨大ネットワークでの経験と学び、今後の進路などを語った。

どのような経緯で電通を去ることにしたのですか?

私は物事を始めるべきタイミングと終えるべきタイミングをわかっているつもりです。これまでのキャリアをご存知ならば、それをご理解いただけるのではないでしょうか。マニラでエージェンシーを設立した時には、サービスの質を上げるためにイノベーションのスキルを向上したいと考えました。ですから電通とのパートナーシップは素晴らしい機会だった。私には日本人の血が流れているので、自分のルーツに戻る意味合いもありました。しかし何と言っても、アジアを拠点とするテクノロジー主導のエージェンシーと組む意義は大きい。その後、幸運にも電通マクギャリーボウエンのグローバルCEOとなって、さらに多くの経験を積むことができました。イノベーションに関するアワードもいくつか受賞しましたが、それは私にとって夢でした。電通には感謝してもし切れません。

ですが、気づけば定年まであとわずかになってしまった。まだ自分の人生でやりたいことがあります。今は改めて、次のステージを見定めている段階です。

巨大エージェンシーの傘下に入るべきか迷っている独立系エージェンシーに、どのようなアドバイスを送りますか?

その質問は自身のエージェンシーを持つ友人たち −− 経営に携わる人もクリエイティブに携わる人も含めて −− から再三受けました。 答えは、状況次第だと思います。課題が経営面にあるのなら、事業成長やクライアントに提供できるサービスの可能性で判断するべきでしょう。会社の方向性や成長、目標を重視するのなら、まさしくそれが判断基準になる。拘束を嫌い、独立を維持する人々もいます。私はパートナーたちと話し合い、より大きな組織に生まれ変わるために未知の世界へ足を踏み入れる決断をしました。

自身のエージェンシーを立ち上げる時には、どのような組織にしたいかを考えねばなりません。(大企業の傘下に入るか否かは)独身でいるか、結婚するかという判断に極めて近いと思います。一生独身でいても、何ら問題はない。しかし結婚するならば共に成長し、学び、互いの友人とうまくやっていかなければならない。プレーのフィールドがより大きくなるのです。ですから肝心なのは自分の目標が何かということです。

エージェンシーをスタートさせると、様々な問題に直面します。1人で切り盛りすれば、いつも不安に怯えるようなことになりかねない。クライアントを獲得したら、常に彼らを満足させねばならない。彼らを失ったら、責任を取るのは自分です。自分に上司がいたら、と思ったことは多々ありました。大きなエージェンシーならば、トラブルが起きた時にはただ立ち去ればよい。上司が全てを解決してくれますから。でも、自身のエージェンシーではそうはいかない。難局にぶつかれば決断するのは自分か、自分のパートナーしかいません。私は苦労して、自らの経験でそれを学びました。クリエイティブが売上げにならないことをやろうとしても、お金の処理は私の責任。本当に多くのことを学びました。

マニラのエージェンシー時代、印象に残っている話を聞かせてください。

DMハイミー・サイフー(グループの1社で総合クリエイティブを担当)は本当に楽しかった。社員が30人いたのですが、全員で同じ飛行機に乗ってロンドンに行ったこともありました。楽しいことをたくさんやり、香港や韓国にも行った。皆が家族のようにつながっていました。あの時は本当にチェアマムでしたね。一家の母のように家族への責任を感じていました。社員の結婚式にもたくさん行ったし、彼らの子どもたちの名付け親にもなった。電通に加わる頃には、社員全員が本当に近しい間柄でした。

電通フィリピンは150人ほどの社員がいる大所帯でした。突如大きな組織に加わった我々35〜40人のスタッフは、いろいろな点で修正を迫られた。私は組織全体のチェアマムになるよう要請されました。その地位に就くことは信頼性の獲得につながりますが、「文化」の醸成は難しかった。家族のように絆が強く、ハングリーで積極的に仕事をこなしていたのが我々の文化。それが突如として、大きな安定したエージェンシーと融合したのです。彼らの考え方は「禅的」で、すでに多くのクライアントを持っていたため、あまりハングリーではありませんでした。こうした文化を受け入れられず、退職者が出るのは致し方ないことでしょう。そうなれば、新しい文化に適応できるスタッフを雇うしかありません。

電通マクギャリーボウエンのグローバルCEOとしては、どのような学びがありましたか?

グローバルCEOの役割はわかっていたつもりでしたが、実際は想像を超えるスケールでした。就任したのはコロナ禍のピーク時。家から出ることはありませんでしたが、毎日様々な国の人々とミーティングをしました。就任早々、実に多くの人々と知り合いました。

独立前にもグローバルネットワークで働いた経験がありましたが、それとは訳が違いました。CEOたちとは、仕事やアイデアといった枠を超えて議論を戦わせた。私は(広告賞の)審査員を務める時には忌憚なく発言し、自分の意見を主張します。でも、ビジネスを熟知した人々との議論は勝手が違った。コロナ以前になぜ売上げが落ちたのか、クライアントをなぜ失い、どう対処すればよいのか、ビジネスをどう再興させればよいのか……彼らと同じ目線になろうとし過ぎ、空回りしてしまった。

そしてある日、私は彼らとは違うことに気づきました。私はもともとクリエイティブの人間。原点に戻って、クリエイティブらしいアイデアを出すよう心がけたのです。社員の賞与や福利厚生といったテーマでもそうしました。結果的に、異なる形でビジネスに貢献することができた。中にはクリエイティブの人間との打合せが苦手な人もいます。でも一緒に少しずつビジネスアイデアを具体化させていけば、垣根は取り払える。事実、今の私の親しい友人にはクリエイティブに携わらない人が何人もいます。

そして私自身も、ビジネスを自信を持って語れるようになった。まったく異なる分野のビジネスを今すぐに始めても役立つ、財務の知識や留意点を会得したのです。今の私は単なるクリエイティブではありません。ビジネスウーマンです。ですから、とても有り難い経験をしたと感じています。

次は何をする予定ですか?

しばらくは健全な食事をし、家族や日常を愛し、祈りを捧げます。これまで行ったことのない所にも行ってみたい。やりたいことのリストはもう揃えてあります。数カ月はそれに費やし、その後は自分が志す仕事に復帰するつもりです。クリエイティブに対する自分のエネルギーをどう具体化するか、いくつかアイデアがありますが、ビジネスモデルはこれまでとは別のものになるでしょう。ビジネスを学び、クリエイティビティーを発揮し、それを有効活用できる機会にしたいと考えています。

学校にも戻りたい。デザインはいつも学びたいと考えていました。

9月末からラスベガスで開かれるロンドン・インターナショナル・アワード(LIA)にも、クリエイティブコンサルタントとして審査に参加します。

それから、アジアの女性の声を世界に届ける活動も続けていきたい。アジア人女性の意見はまったく表に出てこないので、それを反映させることは時代に即した活動だと思います。APACにいる多くの友人たちと連携し、それをどのような形で実現できるか考えてみたい。言葉や文化の壁を超え、アジア人女性の聡明さを世界に伝えていきたいのです。

次の仕事の肩書きは何になるのでしょう?

私の新しい電子メールアドレスでは、もうチェアマムの呼称を使っています。今はチェアマムの本を執筆中で、ほぼ書き上げたところ。7月に出版されます。チェアマムとして、パネルディスカッションのアイデアもあります。人気の高い女性リーダーにお気に入りの椅子(チェア)を持ってきてもらい、チェアウーマンとしての責任を話し合ってもらう。実現させたい企画です。

あなたは業界の女性の地位を向上させるため、10年以上にわたって積極的に活動されてきました。これまで改善した点と、残されている課題をそれぞれ挙げてください。

当初、アジアの若い女性は文化や伝統に縛られがちな中高年女性より勇気があり、大胆だと思っていました。しかしカンヌライオンズの「See it, Be it」(クリエイティブ界の女性の役職を増やすプログラム)に参加して、彼女たちも我々と同じ経験をしていることを知りました。彼女たちは差別を受けても、感情を表に出さないだけ。本来はもっと自由奔放に振る舞えるのに、心の中で葛藤を抱いているのです。むしろ可哀想な気がします。

メンタルヘルスの問題は拡大しつつあるのに、我々はまだこの問題にきちんと向き合っていません。今日の状況はさらに悪化しています。ハラスメントのような辛い経験をソーシャルメディアで暴露すると、トラブルに巻き込まれる。だから彼女たちはソーシャルメディア上で毎日が順風満帆のように振る舞っていても、実際は違うのです。こうした点が以前との違いでしょう。

インフルエンサー世代の若者を広告業界に呼び込むことが難しくなっています。どうしたら業界は、彼らにとって魅力ある世界になりますか?

Z世代や若年層に関して私が学んだのは、彼らは目的がはっきりしているということです。彼らは目の前の世界が崩壊しつつあると感じ、それを正そうとしている。ある意味、とても理想主義的です。

私の三女もZ世代です。長女と次女は広告業界に進んだのですが、彼女はそれを見て「広告業界には絶対行きたくない」と言っています。彼女が目指しているのは国連で働くこと。今の若者たちを動かすのは目的意識です。もし彼らが「広告業界こそ目的達成のために最適」と思うなら、喜んでこの業界に入るでしょう。

目的とは、気候変動から地球を救うといった壮大なものばかりではない。世間から孤立している、あるいはいじめを受けている1人の人間を救うこともそうでしょう。広告業界が社会を正すために最も影響力のある業界だと映れば、多くの若者が志すはずです。

(文:ロバート・サワツキー 翻訳・編集:水野龍哉)

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