David Blecken
2018年4月16日

CM制作で大切にすべきこと

誰であれ、質の悪いCMを見せられることは我慢ならない。

CM制作で大切にすべきこと

広告に関わるメディアに携わっていると、実に多くの広告を目にする。

中には素晴しい作品もあるが、多くの作品は凡庸だ。だが時には、あまりにもひどいと言わざるを得ないものもある。

広告主が小さな企業で、予算やマーケティング担当者が少なく、小さなエージェンシーに依頼することしかできなかった……こうした苦しい懐事情は理解できる。だが、それが大きな多国籍企業の広告となると話は別だ。

以下の2作品をご覧いただきたい。どちらも最近、テレビで実際に放送されていたものだ。

まず1つ目の作品は、「紅茶花伝クラフティー」。この商品が果たしてクラフト(手工芸品)と呼べるかどうかは疑問が残るが、今はその点に触れないでおこう。広告主である日本コカ・コーラは、このCMに豪州人のセレブシェフ、カーティス・ストーン氏を起用した。

まず、彼の無理に作ったような笑顔が不自然だし、本人の声に日本語の音声をかぶせているのが鬱陶しい。1980年代、いや1950年代の広告のパロディーかと思えるようなCMで、制作者のクラフトマンシップ(職人魂)が感じられない。

2つ目の作品も、豪州人である元ラグビー日本代表監督、エディー・ジョーンズ氏が登場する。「勝つための方法を見つけ出そう(Discover the winning way)」と呼びかけるのだが、一体何のCMかというと、複合機のCMなのだ。

彼が無表情で語る内容と、この広告で売り込みたいことにはどんな関連性があるのだろう。また、シンセサイザーによる「未来的音楽」をなぜBGMに選んだのだろうか。そして、口の動きと音声がなぜこんなにずれているのだろう。この作品には制作者の「誇り」が感じられない。

こうした疑問に対する答えは、私には分からない。なぜ2016年に発表された以前の作品(素晴しい作品とはいえないが、それほどひどくもなかった)と比べて質が落ちたのかも、私には分からない。

このような広告が視聴者に伝えるメッセージには、3つあるだろう。どれも決して望ましいものではないのだが……。

  • 視聴者の皆さんの時間には、それほど価値がない
  • 人を見下したりしない、真っ当なCMを作るのが面倒だった
  • たとえ素晴しいCMを作っても、それに感動してくれるほど視聴者が知的だとは思わないし、商品を買ってくれるとも思わない

私が言えるのは、このひと言だ −− もう、こうしたCMはやめよう。

メッセージを喋らせるためだけに著名人(そこそこ有名な人も含め)を安易に起用するのは、もうやめよう。あるいはもし起用するのであれば、せめて見るに耐えるような登場のさせ方をしてほしい。
グローバル市場向けの作品を何の配慮もなくローカルの視聴者に発信することも、もうやめよう。もちろん、鬱陶しい吹き替えもやめてほしい。

こうした作品をまた制作する前に、もう一度考えて直してほしい。大切なのは、視聴者やマーケティング担当者、作品の質、そして自分自身のブランドにもっと敬意を払うことなのだ。

(文:デイビッド・ブレッケン 翻訳:田崎亮子 編集:水野龍哉)

提供:
Campaign Japan

関連する記事

併せて読みたい

15 時間前

世界マーケティング短信:Cookie廃止の延期、テスラの人員削減

今週も世界のマーケティング界から、注目のニュースをお届けする。

1 日前

大阪・関西万博 日本との関係拡大・強化の好機に

大阪・関西万博の開幕まで1年弱。日本国内では依然、開催の是非について賛否両論が喧しい。それでも「参加は国や企業にとって大きな好機」 −− エデルマン・ジャパン社長がその理由を綴る。

2 日前

エージェンシー・レポートカード2023:カラ

改善の兆しはみられたものの、親会社の組織再編の影響によって、2023年は難しい舵取りを迫られたカラ(Carat)。不安定な状況に直面しつつも、成長を維持した。

3 日前

私たちは皆、持続可能性を前進させる責任を負っている

持続可能性における広告の重要性について記した書籍の共著者マット・ボーン氏とセバスチャン・マンデン氏は2024年のアースデイに先立ち、立ち止まっている場合ではないと警告する。