Matthew Keegan
2017年5月11日

何を閲覧したかをもとに魔法をかける、広告の魔術師たち

ニューロサイエンスか、ナンセンスか?

何を閲覧したかをもとに魔法をかける、広告の魔術師たち

スマートフォンや手頃なウェアラブル端末の世界的な普及とともに、マーケターは研究所から飛び出し、街中で広告の効果を測ることができるようになった。その方法論については、議論の分かれるところだが……。

「ニューロマーケティング」という言葉が連想させるのは、消費者たちが実験室で機械につながれ、マーケティング素材への潜在意識の反応を検知するために脳をスキャンされ、生体反応をモニターされるといった、SF的な一コマだろう。科学者たちによれば、こうした脳科学の領域は理論上、より良いキャンペーンや消費者に受け入れられやすいプロダクトを作り出すために有益なデータをもたらすことができるという。そして今や、モバイル端末やウェアラブル技術を用いて、オンラインで、遠隔でも活用できるというのだ。

このような技術の進展は、多くの国際的なブランドがしばらく前から意識し続けてきた分野を、がらりと変えてしまうかもしれない。さかのぼること2008年、巨大テクノロジー企業のグーグルは、ユーチューブのオーバーレイ広告(コンテンツに重ねて表示される広告)とプリロール広告(コンテンツの視聴前に表示される広告)の効果を、ユーザーの脳波や目の動き、皮膚の反応から測定できることを明らかにし、波紋が広がった。

ニューロマーケティングのコンセプトは、従来型のマーケティング手法に代わるものとして、マーケターの間では支持されている。インタビューやアンケート調査では、回答者が何と回答すればよいか分からなかったり、明確に答えられない、あるいは嘘の回答をすることもあり、その欠陥が広く問題視されてきた。測定可能な脳内活動を直接的に捉えるニューロマーケティングは、従来型の手法に見られたような曖昧性を排除できるとされている。回答者の感情、注意レベル、記憶などを測定するのが一般的だ。

モビリティーが全てを変える

このように期待が集まる一方で、ニューロマーケティングに対しては、当初から倫理面の懸念が根強い。消費者の脳内活動を深く探る行為は、実は欲しくないものまで買わせるように消費者の意識を操るのではないかと、批判する声があるのだ。

しかし、そのような懸念をよそに、徐々にではあるがニューロマーケティングは伸び続けている。BCCリサーチが2016年に行った調査によれば、ニューロマーケティング・テクノロジーのグローバル市場規模は同年2200万米ドルに達しており、2021年までに2倍の規模に拡大することが予想されている。

この成長を支えているのは、実験室で大型マシンを使わなくてもニューロマーケティングが実現できるという新技術だ。ニューロマーケティング研究のための技術が組み込まれたモバイル端末や腕時計も、すでに存在する。

「次世代型の携帯電話の中には、ユーザーが広告を見ている間に閲覧行動を追跡できるソフトウェアが入っているものがあり、同時に、広告によって興味をかき立てられた度合いを心拍数測定アプリで測ることも可能になっています」と話すのは、シンガポールのナンヤン・ビジネス・スクールの教授で、脳科学を用いたマーケティングの先駆者でもあるジェンマ・カルバート氏だ。

他にも、心拍数や皮膚電気反射を生体センサーで測定する消費者向けウェアラブル端末の例として、フィットビットやアップルウォッチが挙げられる。アップルは2016年、顔の表情を人工知能(AI)で分析し、感情を読み取る技術を開発したスタートアップ企業、エモティエントを買収。顔の表情と目の動きを測定できる3Dカメラを、iPhoneに搭載するのではないかとの噂まで出ている。

この分野では他にも、SKIMグループやスプリット・セカンド・リサーチのような企業が活躍。将来的には、高度なスワイプ検知機能を使って、ユーザーがモバイル端末で広告を見てスワイプするまでの時間を測定し、潜在意識で起きた反応を即時に把握できるようになるという。そうなれば、キャンペーンがブランド認知にどのような影響を与えたかも、明らかにすることができる。

「消費者からのフィードバックをほぼ即時に把握することができ、モバイルプラットフォームで利用できて、費用対効果も高い。ニューロマーケティングの技術に世界中が注目しているのは明らかです」とカルバート氏。「この先、多感覚を用いた測定方法やコンテクスト(文脈)に基づく測定デバイスなど、ニューロマーケティングのアプローチはさまざまに枝分かれしていくでしょう」

デジタル化された新しい取り組みがマーケターにもたらす大きなメリットは、拡張性が期待できる点だろう。

「これらの技術は、今までよりも大幅に拡張性が高い」と、『脳科学マーケティング100の心理技術 ― 顧客の購買欲求を生み出す脳と心の科学」の著者であるロジャー・ドゥーリー氏は言う。「ニューロマーケティングの研究所に被験者を呼ぼうとすれば、制約が多くなり、コストも高くなりがち。被験者を確保しにくく、非常に少ない人数を対象にすることになるでしょう。一方で、オンラインでスマートフォンやタブレットのユーザーを対象に実験ができれば、何十万人、あるいはそれ以上の被験者を手軽に確保できるのです」

信頼性の懸念

ニューロマーケティングの活用は今後も進み、影響力を増していくだろう。しかし、アジアでの広範な普及という観点では、まだ黎明期にあるといえる。

CBCマーケティング(上海)のプレジデント兼CEO、チャールズ・マークル氏は、「ここ中国では、まだニューロマーケティングの分野に携わる人はあまりいません」と話す。「例えばアリババのような企業は、ニューロマーケティングのツールを用いたウェブテストを実施していますが、中国のごく一部の地域限定であって、他の国々で行われているニューロマーケティングとは比べ物にならない規模です」

アジア太平洋地域の他のマーケターたちも、同様の見解だ。

「新しいニューロマーケティングのトレンドの中には、まだ生まれたばかりのものもあります」と話すのは、シナジーマーケティング(日本)のリサーチャー、マテュー・バーティン氏だ。「もちろん当社では新しいトレンドを注視していますが、脳内活動の測定、目の動きの追跡、顔認識などに基づく試験は研究所で行っていますし、アンケート調査やインタビューのような従来型の手法も取り入れています」

オンラインやモバイル、ウェアラブル用の新しいニューロマーケティングのツールを使って収集したデータの、信頼性に対する懸念。これが、ニューロマーケティングが実用に耐える状態であったとしてもなお、現状では活用が進まない理由の一つだろう。脳科学の世界では、被験者の脳内活動を秒単位で測定できる脳波計を用いた試験のように、実験室で行う試験の方が、格段に精度が高いと考えられている。

ニールセン・コンシューマー・ニューロサイエンスで大中華圏を統括するキース・ロウ氏は、「当社ではすでに、生体反応や目の動きを追跡するウェアラブル端末の実験を始めています。研究所内だけではなく、ユーザーの自宅や自動車修理工場といった一般的な環境の中で、特定市場のニューロマーケティングの試験をすることが可能になっています」と語る。「ただし現状では、試験結果の信頼性を確保するため、当社が行うリサーチのほとんどは、管理の行き届いた研究所で実施しています」

信頼性をいかに確保するか。新しいテクニックの中には科学的根拠に乏しく、データの信頼性が低いものがあると専門家は指摘。マーケターに対し、過度の期待を抱かず、慎重になるよう訴えている。

「新しいニューロマーケティングの研究には、科学的な裏付けがあまり明確になっていないものもいくつか見受けられます」とドゥーリー氏は注意を促す。「ニューロマーケティングの技術について発表された、優良な学術論文はそれほど多くありません。その一方で、個々のサービスプロバイダーが、自社の導き出した結論に都合の良い独自データを使っている状態です」

消費者がスマートフォンを操作する際の表情を分析し、感情を読み取るために、スタートアップ企業は人工知能を活用している。

このように客観的な基準が無いために、質のばらつきは避けられないのが現状だ。

ロウ氏はニールセンの取り組みについて「必ずしもすべてのコンシューマー・ニューロサイエンス・サプライヤーが、当社と同じようにサイエンスや品質に責任を持っている訳ではないことを把握しています」と説明する。「顧客が確実に最高品質のリサーチ結果だけをビジネス判断に取り込めるよう、委託先を選ぶ際にどのような点に留意すべきか。当社は業界内の協力者と積極的に連携し、顧客への情報提供を継続的に実施しています」

倫理上の問題はないのか?

これまで論じてきたデータの完全性についての論点は、考慮すべき側面の一つに過ぎない。ニューロマーケティングにまつわる倫理的な疑問は払拭されたわけではなく、むしろ、消費者のモバイル端末やコンピューターにニューロマーケティングの技術が入り込む中で、今まで以上に検討すべき課題となっている。

「ニューロマーケティングのために収集されるデータの中には、個人的な情報も含まれています。そのため、脳が操られる可能性が高まるとか、ある種の『黒魔術』にかけられるのではないかという懸念が、しばしばついて回ります」とバーティン氏。「ニューロマーケティングを倫理的に行うための最善策は、透明性を確保することだと思います。どのようなデータが収集され、使用目的は何か、いつ消去するのかといったことを、消費者やネットサーファーに正確に伝えるのです」

「これは何も、生体反応のデータに限ったことではありません。フェイスブックやグーグルのような企業が、私たちのネット上の行動についてどのようなデータを取得しているのか、はっきりしたことは分からないというのが実情です。私は、この分野はもっと透明性を高めるべきだと思っています」

バーティン氏がこのように指摘する一方で、人を操るような行為の可能性はないと反駁する関係者もいる。

「コンシューマー・ニューロサイエンスは、ブランドが消費者とのコミュニケーションや関わり方の改善を支援するために、進歩的なツールを活用するものであって、消費者を操ろうとしているわけではありません。脳内に『購入ボタン』があるわけではないですし」とロウ氏は反論する。

サイエンスとテクノロジーによって、私たちの潜在意識を探り、新たな洞察を得るための方法論が見出されたと言えるかもしれない。だが、マーケターが目下直面している最大の課題は、新しく取得したさまざまなデータを実際どのように活用して、より優れたプロダクトやキャンペーンを作るか、という点ではないだろうか。

ドゥーリー氏は「ニューロマーケティングの技術のほとんどが、単体で行動を予測できるような完璧なものではありません」と指摘する。「例えば、目の動きを追跡するだけでは、人々が何を見ているかは分かりますが、将来の行動を把握するのは難しいでしょう。また、モバイルアプリで測定した生体反応には予測的な要素は無いかもしれませんが、あらゆる技術と組み合わせることによって、消費者が何を体験しているかという実像がより高い完成度で見えてきて、将来の行動予測も可能になるかもしれません」

ニューロマーケティングの進展は前途有望で、特有のメリットもありそうだが、今はまだ、従来型のマーケティング手法から乗り換えるには時期尚早だろう。むしろ、消費者の行動をより高い精度で把握するための一つの手法と考えた方が良さそうだ。

(マシュー・キーガン 翻訳:鎌田文子 編集:田崎亮子)

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